原曲の姿

自分自身パッヘルベルの自筆譜を見たわけではないので、あくまでも推測の範囲は超えませんが、多少はそれなりに状況証拠を集めたので、考察してみようと思います。

まず一部のCDにある、元々オルガンの曲だったという説はかなり疑わしいと考えています。確かにパッヘルベルはオルガンの名手で、素晴らしいオルガン曲を多く残していますが、「カノンとジーグ」以外の室内楽曲集もいくつか残しています。そもそもパッヘルベルのオルガン曲は例外無く、声楽のソプラノ・アルト・テノールの音域に相当するパートがはっきりと存在していますが、カノンではまったく区別することができません。あえて言えばソプラノのパートしか存在しません。実際、弦楽器用のカノンをオルガン用に編曲した楽譜はいくつか発売されています。また、オルガン用の原曲をもとにした修正・編曲であるならばそのような個所を一音一音明らかにするものですが、そのようなオルガン譜の存在は、今のところ聞いたことがありません。収録漏れもあるので多少信頼性に欠ける面もありますが、「ニューグローヴ世界音楽大辞典」にもアントン・ブシャールやジョセフ・ペインのオルガン全集にも、カノンは含まれていません。

やはり、3つのヴァイオリンと通奏低音という形式だったと考えるのが自然でしょう。では、その楽譜は我々が今日目にしているものとどこが違ったのでしょうか。それを考える材料として、2つの原典版があります。1つは1929年にオルガヌム社から出版されたマックス・ザイフェルト編集のもの、もうひとつは1985年にペータース社から出版されたアンネ・グルゲル編集のもの。パッヘルベルの自筆譜は戦争などで失われており、それぞれ別の写筆譜をもとにまとめています。共通しているのは3つのヴァイオリンのパート。それから通奏低音のd-a-h-f#-g-d-g-aの進行。いずれの楽譜も通奏低音の楽器指定はチェンバロということになっていますが、チェンバロの右手のパートは2つの楽譜で大きく異なっています。

ここで当時の音楽の通奏低音についてですが、一般的に大雑把な記譜法をするのが普通でした。5線譜上には左手のベース音しか書かず、右手は即興演奏に任されていました。和音を示すために、最低限使うべき音を簡単に数字で添えていただけです。現代のポップスにおけるコードネームのようなものですね。パッヘルベルがそのような記譜法していたのであれば、チェンバロの右手のパートが大きく異なる2つの写筆譜が存在しても不思議ではありません。また、チェンバロの左手のパートをチェロなどの他の楽器が一緒に演奏するのも、当時の習慣としては普通のことだったようです。

掲示板やメールで、「原曲のカノンのCDはどれですか」という質問をよくいただきますが、先に述べたことから、次の条件を満たしていればどれも原曲であるとして良いのではないでしょうか。当時の楽譜は結構演奏者の自由度が高かったようですよ。

・小人数の編成であること
 (オーケストラみたいに大掛かりじゃない)
・ヴァイオリン3つとチェロ以外に弦楽器は存在しない
 (ヴィオラのピチカートが入っていたりしない)
・ヴァイオリンのパートは僕がこのサイトに載せた楽譜通り
 (いろいろな装飾記号は、常識の範囲内でアドリブ可)
・チェンバロの右手パートは、現在のポップスのコードD-A-Bm-F#m-G-D-G-Aである限り何でも可
 (これも常識の範囲内で)
・もちろんニ長調であること

クラシックのCDのうち、小人数のものはほとんどこれに該当するような。

参考文献

「ニューグローヴ世界音楽大辞典 第1版」 講談社
Antoine Bouchard "Pachelbel: The Complete Organ Works vol.1-11" CD, 1999-2001, Dorian
Joseph Payne "Pachelbel: The Complete Organ Works vol.1-10" CD, 1996-2000, Centaur
サルヴァトーレ・ニコローシ著 幣原映智訳 「16世紀の実作に学ぶ古典純粋対位法」 1997, 音楽の友社

2001年8月7日

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