「アルビノーニのアダージョ」のこと

バロックの定番を集めたCDは世の中結構多く、その中には結構な確率で「カノン」も収められている。ちょっと注意してみれば、たいてい演奏者がパイヤールだったりミュンヒンガーだったりして重複しているので、僕は滅多に買わない。買いたくない理由はもう一つある。カノンと同じくらいの確率で「アルビノーニのアダージョ」という曲が入っている。これがいけない。

独立して聴けばそんな悪い曲じゃない。でも、「カノン」と「アルビノーニのアダージョ」が2つとも収録されているCDというのは、ほぼ例外無く退屈なCDだ。ヘタすると聴いた子供がクラシックを嫌いになってしまうかもしれない。少なくとも、一家に2枚は要らない。

もう1つ、「アルビノーニのアダージョ」は、他のバロックと聴き比べると、どうもうさん臭さを感じてしまうのだ。素朴なバロックらしからぬ「やらせ」の雰囲気がある。

そもそも「アルビノーニのアダージョ」は、基本的にバロック音楽の大家アルビノーニの作品ではない。アルビノーニがほんの数小節遺した断片を、後の音楽史研究家とか言うジャゾットという人が、想像力を働かせまくって数十倍にふくらませて書き足して完成させた曲だ。特に、曲後半のいきなりフォルテに変わって「ラシドシラソラ〜 ソ〜〜」とやってしまうあたりは、絶対アルビノーニは作らなかったと思う。ショックなことが起こるとすぐに、BGMでパイプオルガンでバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」冒頭部を流してウケ狙いに走るのと、まるで同じレベルである。

だから、そこら辺の事情のわかっている解説者は「アダージョ(アルビノーニ)」と書かずに「アダージョ(アルビノーニ/ジャゾット)」と書いている。僕だったら、「アルビノーニのアダージョ(ジャゾット)」と書くだろうし、売れるかどうかということを気にしなくていいなら、バロック曲集のCDにバロックじゃない「アルビノーニのアダージョ」は載せてあげない。

では、パッヘルベルのカノンはどうか。実は、パッヘルベルの手書きの楽譜や生前出版された楽譜は現在のところ発見されていない。いくつかの写本があるだけで、それらは微妙に違うところがある。だから、カノンもパッヘルベルが作曲したままの演奏をしているという保証は無い。ただ、古くからあるそれらの写本もほとんどの点で一致しており、大きな違いは3つのヴァイオリンとドソラミファドファソの通奏低音以外の、おまけのチェンバロのパートだったりする。

この時代の作曲家の作品はたとえJ.S.バッハのものでも、作曲したままの形で現在に伝わっているとは限らないものが多いので、この程度なら堂々「パッヘルベル作」と言って良いのではないか。

2000年8月10日

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